「アルバイト生活からファイナルMVPへ──這い上がった男・山崎稜の軌跡」
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「アルバイトからファイナルMVPへ──這い上がった男・山崎稜の軌跡」
プロスポーツの世界には、光の当たる選手がいる一方で、影に埋もれていく選手もいます。多くの選手が幼少期からエリート街道を歩み、光の当たる華々しいキャリアを築く一方で、チャンスを掴むためにもがき続けても光が当たらない者の存在も少なくありません。
広島ドラゴンフライズの山崎稜(やまざきりょう)選手も、かつては光から遠い場所にいました。試合が終わればすぐにアルバイト先へ向かう、そんな生活を送りながらも夢を諦めなかった男が、ついには日本最高峰のプロバスケットボールリーグであるBリーグの頂点に立ち、ファイナルMVPに輝く。これは私が実際に経験した、努力と信念で自らの道を切り開いた一人のバスケットボール選手の実話です。
アルバイト生活を支えに、夢を追った日々
山崎稜選手がかつて所属していた埼玉ブロンコス。私が同チームでメディカルスタッフとして選手たちのサポートをしていた頃、彼は決して恵まれた環境にいるわけではありませんでした。
ホームゲームが終わり、クールダウンや治療を終えると、彼はいつも決まってこう言っていました。
「これからバイトです。」
多くの選手が疲れた体を休める中、彼は生活を支えるために働きに出ていました。バスケットボールだけでは食べていけない厳しい現実を抱えながらも、それでもコートに立ち続けていました。契約の詳細は分からなかったのですが、少なくとも“プロ”と呼ばれる世界で彼が経済的に苦しい状況にいたことは、疑いようもなかった事実でした。
ただ、山崎選手は決して弱音を吐かない。むしろ、周囲に気を遣いすぎるほどに遠慮がちで、優しさがにじみ出るような人でした。治療を受ける順番も「空いていたらお願いしたいです」と控えめに伝えてくる姿が、今でも強く印象に残っています。
優しさと遠慮の裏にあった確かな実力
優しすぎる性格は、プレーにも現れていたようで、彼は決して自己主張の強いタイプではなく、チームメイトからは「もっと自分を出していい!」「もっといけ!」と背中を押されることが多かった。それでも彼の武器である高精度なシュートは、当時から際立つものがありました。チャンスをもらえばしっかり決める。そんな確かな実力を、彼は静かに持ち続けていたように思います。
埼玉ブロンコスでの在籍はわずか1年ほどだったと思いますが、その後、彼は栃木ブレックスや群馬クレインサンダースといった強豪チームを渡り歩き、現在は広島ドラゴンフライズに入団。シュート精度はさらに磨かれ、ディフェンスでも存在感を発揮し、スターティングメンバーに名を連ねるようになっていました。かつてアルバイトに追われていた彼が、今では立派に“プロ”としてその地位を確立していたのです。
史上最大の下剋上──ファイナルMVPへの道
2023-24年シーズン、広島ドラゴンフライズは誰もが驚く快進撃を見せました。
1回戦ではシーズン最高勝率を誇る三遠ネオフェニックスを2連勝で撃破。その勢いのまま名古屋ダイヤモンドドルフィンズも倒し、ついに決勝の舞台へ駆け上がります。
相手は2度目の優勝を狙う琉球ゴールデンキングス。多くの専門家やBリーグファンが琉球の勝利を予想する中、広島はその予想を覆す戦いを見せました。
そして、このシリーズで最も輝いたのが山崎稜選手でした。
彼は3ポイントとディフェンスに強みのある、いわいる“3&D”として、チームに不可欠な存在に成長していました。ディフェンスで相手のエースや得点源を封じ込み、オフェンスでは3ポイント成功率56.0%という驚異的な数字を記録。クライマックスシリーズでの平均13.9得点という活躍は、広島の初優勝に大きく貢献しました。
2勝1敗で広島が勝利を掴み、史上最大の下剋上と称されたこの優勝劇。その中心にいた山崎選手が、堂々のファイナルMVPに輝き、1人スポットライトを浴びている姿を見た瞬間、私は感動で胸がいっぱいになりました。
世間から見ればたまたま勢いに乗った広島が勝った。その時活躍した山崎選手がMVPを獲った。と、ただこれだけの事実だけなのかもしれませんが、彼の今までの努力を知る者からすれば、単に奇跡やたまたまという言葉だけでは片付けられない、積み重ねてきたものの重みを感じずにはいられません。
派手な経歴もなく、脚光を浴びることも少なかった彼が掴んだ栄冠は、決して偶然ではなく、見えないところで積み上げてきた努力と覚悟の結晶です。
アルバイトに追われながらも夢を諦めず、与えられたチャンスを逃さずに掴み取ってきた彼の姿を思えば、このMVPは単なる結果以上の意味を持ちます。
這い上がった男が示した“諦めない力”
私自身、これまで多くの選手を見させて頂きましたが、アルバイト生活から優勝とMVPを手にした選手は山崎稜選手以外に知りません。
プロの世界は厳しく、多くの選手が様々な理由により途中で夢を諦めてしまいます。
怪我、契約問題、実力、チーム事情などの理由の他にも同年代のサラリーマンの給料事情やSNSでキラキラしている友人なんかを見ると、自分が安い給料で保証もないプロ生活を続けているのが辛くなってきたりすることもあるでしょう。
それでも彼は違いました。周りに流される事なく地道に努力を積み重ね、這い上がっていき、最後は大きな舞台で一人スポットライトを浴びていました。
広島ドラゴンフライズは全国的な知名度ではまだ他の強豪チームに及ばないかもしれません。山崎稜という名前も、琉球や千葉のスター選手たちほど広く知られてはいないでしょう。しかし、彼の物語は、バスケットボールだけでなく、スポーツを愛するすべての人に知ってほしいと心から思います。
誰よりも優しく、誰よりも努力を続けた男が掴んだ、栄光のファイナルMVP。
その軌跡は夢を追うすべての人にとって、これ以上ない勇気と希望を与えてくれるはずです。
MVPを獲得したのは31歳。これからもまだバスケットボール人生は続いていく事でしょう。健康がないと選手生活を続けられませんので、これからも日々のケアに気を使ってできるだけ長く活躍してほしいと思います。
どんなに厳しい状況でも、山崎稜選手のように目の前のことに真摯に向き合い、諦めずに積み重ねた先にこそ、想像を超える未来が待っている。だからこそ、今いる場所でできることを精一杯続けていきたい。
努力はすぐに報われなくても、自分を裏切らないと彼が証明してくれました。
私も怪我で夢を諦める選手が1人でも減るように、これからも日々努力していきます。
埼玉ブロンコスのサポートをしていた当時の私(中央)
2025年 2月 27日 9:11 AM